アメリカ・ルイジアナ州に位置するニューオーリンズで19世紀に誕生したと言われています。
ジャズの歴史をわかりやすく解説
黒人奴隷の輸入
ジャズの誕生から遡ること200年。
17世紀ごろ、西洋奴隷貿易でアフリカから黒人奴隷がアメリカに連れてこられます。
音楽の歴史は、この出来事から動き始めます。
ちょっと待って。
私、世界史とか超苦手なんですけど大丈夫ですか。
ぜんぜん大丈夫です!
大事な出来事だけをかんたんにまとめてお話ししていきます!
1865年 奴隷制度の廃止
そこから時が流れて1865年。
南北戦争で奴隷解放を掲げていた北部が勝利。
これにより黒人奴隷制度が廃止されました。
しかし黒人の社会的地位は依然として低く、差別の対象として辛い日々を過ごすことになります。
19世紀後半 ジャズの前身 ブルースの誕生
それまで奴隷として教会で黒人霊歌を唄うことしか許されていなかった黒人たちですが、奴隷制度の廃止のおかげで自由に音楽に触れる機会を得ます。
“神”や“故人”についてではなく“自分”について唄える時間ができた彼らは、自分たちのつらい境遇を唄うBluesを誕生させます。
Jazzの派生元にあたるbluesの誕生です。
音楽はいつも労働のなかで生まれる……!
1910年前後 ジャズの誕生
さて。
南北戦争が終結した際に、軍の音楽隊が使っていた西洋式の楽器が市場に安く出回りました。
その楽器を調達した黒人たちが即興のアンサンブルを楽しむようになり、BluesからJazzが派生します。
Jazzにギターやサックスなどの西洋式の楽器がメインに使われているのは、このストーリーがルーツになっています。
1897年ごろからアメリカを中心として流行っていた黒人ノリの音楽”Ragtime”の遺伝子がJazzに付加されるのも、このタイミングです!
奴隷として連れてこられた黒人たちの出身はアフリカ。
音楽の聖地です。
西洋の音楽教育を受けていないにも関わらず彼らは音楽好きでセンスがよく、耳と感性だけでJazzというジャンルを確立させていきました。
Jazzのなかで「クオンタイズされていない生のリズム」が流れているのは、このあたりのバックがあるからなんですね!
1914年 サッチモあらわる
ジャズの基本が完成しだした頃。
ジャズの父、サッチモことルイ・アームストロング(Louis Armstrong)が登場します。
1914年。
彼は少年院から出所すると同時にジャズの第一人者になり、アメリカでのJazzの地位を大きく押し上げることに貢献します。
え、少年院から出所!?
なんとサッチモさん。
子供の頃にお祭りで浮かれてピストルを発砲してしまい、少年院にぶち込まれていたんです。
少年院のブラスバンドでコルネットを演奏することになったのが、彼にとって楽器との出会いです。
人生、どう転がるか分かりませんね!
1917年 “Jazz”という名前がアメリカ中に広まる
1917年2月2日。
黒人たちが作り上げた新しい音楽が”Jazz”という名前で初めてニューヨーク・タイムズに掲載されます。
同年2月26日には「Original Dixieland Jazz Band」という史上初の”Jazz”という単語が使われたレコードがリリース。
このレコードがミリオンセラーとなり、Jazzが世界中に知れ渡ることになりました。
1920年 禁酒法とジャズ
1920年1月16日。
アメリカ社会の治安改善や生活水準の向上を目的とした禁酒法( =ボルステッド法 )が発令されました。
この禁酒法が、Jazzの成長を後押ししたと言われています。
「国民の健康のために、業者さんはお酒を輸入したり販売してはいけません!」という法律です。
現代でも1月16日は”禁酒の日”として定められていますね!
禁止されると余計に欲しくなってしまうのが人間という生き物です。
もともとアンダーグラウンドな世界で発展したジャズは、マフィアたちが運営していた「スピーク・イージー(Speak Easy)」と呼ばれる違法酒場で発展を続けます。
お酒は裏ルートで周辺国から輸入され、違法酒場は大盛況。
アメリカ国民のお酒の消費量はかえって増加したそうです。
マフィアやギャングたちの勢力拡大=お酒の消費量にともなって、ジャズもどんどん人気になっていきます。
やっぱりお酒には音楽がないとね。
お酒を頼むときに簡単な合言葉で注文していたことから「Speak Easy」と呼ばれることになったそうです!
映画「コットンクラブ」では禁酒法時代のジャズが忠実に描かれています。
多くの混乱や反発を招いた割に禁酒を促進させられなかったこの法律は、1933年で廃止になりました。
1930年以降 ジャズの発展
お酒を求めて違法酒場にやってきた白人ミュージシャンたちがジャズに触れたことで、ジャズはさらに発展。
アメリカ全土はもちろん、国境を越えたイギリスでもジャズの文化が開花し始めます。
1930〜 スウィングジャズの誕生
酒場が合法的に解禁されたことで大々的にお店を開けるようになり、ホールに常駐できるビッグバンドオーケストラが誕生。
踊りやすいダンスミュージックにシフトしたスウィングジャズが生まれます。
映画「スウィングガールズ」で有名なSing, Sing, Singが発表されたのが1936年。
まさにこの時代です!
1940〜 ビバップの誕生
1941年12月8日未明。
日本海軍の真珠湾攻撃。
陸軍の英領コタバル上陸作戦。
この日の出来事がジャズの形態を大きく変えます。
再び始まった戦争の影響でミュージシャンも人員不足になり、大所帯のビッグバンドでの演奏ができなくなりました。
そこで、少人数編成のジャズの文化が加速します。
少数精鋭のステージで鍛えられたジャズマンたちが腕比べのために集結してビバップが生まれます。
ビバップの代名詞、Donna Leeが初めて録音されたのが1947年です。
ところが。
高等テクニックのぶつかり合いであるビバップは、マニアックすぎて大衆からは不評でした。
ドン引きする大衆の反応を見て、
- チャーリー・パーカーと1年間同居
- Donna Leeのレコーディングメンバー
というステータスを持つモダンジャズの帝王、Miles Davisが立ち上がります。
ビバップをもっとも近い位置で見てきたが更なるジャズの可能性を追求し、白人受けするクールジャズを作り上げます。
ここでリリースされたのが「クールの誕生(BIRTH OF THE COOL)」です!
1950〜 モダン・ジャズの時代へ
クールジャズに影響された白人たちが、西海岸側で明るくて陽気なウェスト・コースト・ジャズを作り。
同じ時期に、東海岸側では黒人たちの手によってさらに個人の感情表現やフレーズに特化したハードバップが生まれます。
ゴスペルやブルースなど、黒人特有の感覚が強く反映されているおがハードバップの特徴です。
- クールジャズ
- ウェストコートジャズ
- ハードバップ。
このあたりのジャンルをまとめて「モダン・ジャズ(modern Jazz)」と呼びます!
我々日本人が思い描くジャズは、基本的にはモダンジャズだと言われています。
1950年代後半には、黒人の力強さが色濃く反映されたファンキー・ジャズ(funky Jazz)が流行。
この時代の音楽は、別名ソウル・ジャズ(soul jazz)とも呼ばれています!
同じ頃。
メロディが洗練されたぶん自由度が失われてしまったハードバップから、よりシンプルさを追求したモード・ジャズ(modal Jazz)が発展します。
細かいコード理論よりも、ざっくりとしたモード(旋法)を利用して演奏するモードジャズ。
ソロプレイにおいては飛躍的に自由度が増し、メロディの選択肢が増えました!
1960〜
モダン・ジャズのような理論に縛られた世界からの脱出を試みたフリー・ジャズ(free jazz)が生まれます。
こちらも大衆受けはしなかったそうな。
自由って難しいですね。
これは…曲なのか……?
「理論という束縛からの解放」
「表現の自由」
これを追求すると、フリージャズに行き着くのです…!
1970 クロスオーバー
1960年代後半から、ジャンルの垣根を超えて音楽性を融合させるクロスオーバーの時代に突入します。
ブラジルのミュージシャンたちがJazzの風を取り入れたBossa Nova。
電子楽器を取り入れたエレクトリック・ジャズ。
ジャズ・ロック。
1980年代にはジャズの要素が薄くなり、ロックやポップスの要素が強いフュージョンへと派生していきます。
こうしてクロスオーバーで音楽が混ざり合い、現代の我々が演奏しているような多様性のある音楽が誕生していくのです!